高山左近と高山右近 116号
大乘寺山主 東 鱆チ

 私が少年時代を過ごした丹波(京都府)に、「摂州芥川城主」の「高山左近」の墓がある。「右近」ではなく「左近」である。
 しかし、この墓のことについて調査、研究をした人はいるのかどうか。
 また、ここ金沢は、高山右近ゆかりの地と聞く。右近は、キリシタン大名として令名が高い。この件と直接の関係はないが、大乘寺の境内には、いわゆるマリア観音像(石像)がある。
 さて、高山正之氏の著書によれば、右近は「明石に封じられると城下の神社仏閣を片端から壊して教会にした」。「右近はその後も偏狭なキリスト教徒として生き続け」た。
 そもそも秀吉らが伴天連(ばてれん)追放令を出したのは、「有馬晴信などキリシタン大名が火薬の素の硝石を得るために、捕えた敵軍の将兵や領地の女を海外に売っていた、一説には女五十人で硝石一樽だったというが、それを秀吉が知ったことからだった。」
 これに似た説は、以前、私が、九州、天草(あまくさ)を訪れたとき、土地の住職からも聞かされた。
 こういうはなしの真偽は、果して高山右近自身の信仰とどうかかわるのか、知っている人に教えてもらいたいと思う。


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