大地震の恐怖 124号
 私が小学生、昭和一八年ごろ、鳥取市で大地震がありました。夕食の準備をしていた頃なので、市内の家屋はほとんど倒壊、そして火の海となりました。私は、お寺に住んでいました。汲みあげ式のポンプから茶色の水が まっすぐに天に向かってふきあげました。はだしの女性が、死んだ子供を抱きかかえて山から下りてきました。私と四つ下の弟は手をつないで、うろうろしているところへ、直径五十センチほどの大石が山から勢いよく落下してきました。そばにいたどこかの小母さんが弟の手をツイーとひっぱってくれたので、一、二センチの差で、大石の下にならなくて助かりました。まさに九死に一生をえたのでした。
 寺の境内には、担架にのせられてきた数十の死体が、一か月間あまりもそのままにおいてあったので、死臭がぷんぷんでした。
 しかし、鳥取大地震のことは、戦時中ということもあり、国民に知らされることはなかったようです。
 私は、生理的、本能的に、地震――となったらまっさきにとび出して、周りの人に嗤われます。
 ともあれ、私には、そういう経験がありますので、大乘寺として、皆さまの御協力をいただいて、東日本大震災に義捐金を送りつづけて五年目を迎えます。このたびの平成二八年熊本地震にも義捐金をとどけることにいたします。一層の御協力をお願いいたします。

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