ふたたび高山右近について 139号
 昨今、連日のように、加賀藩ゆかりのキリシタン大名高山右近が、ローマ法王庁から「福者(ふくしゃ)」の称号を与えられたということで、関連事項をふくめて、新聞紙上をにぎわしている。それは尋常のありさまではない。
 私は、そのことについて、なにも語る資格はないが、疑問が一つある。ただ、少年時代の数年間、熱心にカトリック教会にかよっていたことはあるのだが。
 高山右近について、高山正之氏は、
 「宣教師だけでなく、信徒も傍若無人で、例えば高山右近は明石に封じられると城下の神社仏閣を片端から壊して教会にした。」
 右近は「その後も偏狭なキリスト教徒として生き続け、家康の切支丹禁止令(一六一四年)のあとやっと日本を出てマニラを終の棲家にしている。秀吉がキリスト教をそこまで嫌ったのは、彼らの狭量さの延長にある非人道性だった。同じ神を信じていない者は「人に非ず」で、だから奴隷にしても構わない、と主張する」。
 キリスト教宣教のためにつとめたこういう人物こそ「福者」なのだということかも知れない。
 仏教の側にも、比叡山の僧兵はいうにおよばず、私をふくめて生臭さ坊主はいまも世に充満しているが、それはさておき、高山右近の「福者」さわぎは、石川県、金沢市に限るとしても、なにやら釈然としないのである。

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