自分ていったいなんだ まわりの力に支えられて 148号
 八十歳を過ぎて、よくここまで生きてきたなと思う。
 十代前後、私は、生きてきた意味がわからなくて、無茶苦茶な生活をすごしてきた。つらい、さびしい、悲しい、悶える―――これから先きはどうしたものか。ひとり煩悶する日々であった。
 ついに意を決してわが家をとび出した私は、それから、さまざまなことに出会い、いろいろな経験をくりかえした。お金がないこと、人の情けなどどこにもないことを知り、うらみに思うことが多かった。
 それから私は、師匠に出会い、先生に出会い、先輩に出会い、同輩、後輩に出会っていくうちに、それらの力に支えられて、私は、自分自身を改造し、まったく未経験の境地に入ったのである。それは七十歳代を越えてのことだった。
自分はたしかに自分だが、自分は自分以外のものに支えられているのだ。それをひとつひとつどのようにうけとめていくか。自分は自分であって自分ではない、自分以外のものが自分である。だから、自分などというものは、あるけれども、ありはしないのだ。

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