雪博士・中谷宇吉郎(なかやうきちろう)先生 第20号
 「雪は天から送られた手紙である」・・・・・・・・。
これは、雪と氷の研究で日本が世界に誇る大科学者、中谷宇吉郎博士(北大教授)のことばです。
先生の出身地・加賀市にはお墓があり、また「中谷宇吉郎 雪の科学館」が建てられています。ぜひ、おいでになってみて下さい。
 加賀の三太郎といえば、西田幾太郎、藤岡作太郎、鈴木(大拙)貞太郎のことのようです。
 私は、これに、大いに不満です。
 それは、中谷宇吉郎博士を加えて、「加賀の四郎」とよぶべきだと思っているからです。
 中谷先生の夫人・静子さんは、金沢市の人です。静子さんのお母上、寺垣品さんは、東京、明治神宮そばの中谷邸で、ご一緒に生活をなさっていました。
 品さんは、大乘寺で長いあいだ参禅をされたのです。お若いころは、高岡市の国泰寺で参禅をなさいました。たぶん、西田幾太郎、鈴木大拙などもご一緒ではなかったかとおもいます。
 品さんは、学生時代の私に、静子さんを通じて、お経さんをあげてくれとおっしゃいました。
 参上すると、本多巳智子さんも、よくおいでになっていました。
 読経がおわると、必ず静子さんお手尽しの、おいしい精進料理をふるまわれました。品のよい金沢の伝統的なおことばを添えて・・・。
 静子さんがおなくなりになったとき、私が葬儀を司り、戒名を安じました。
 前後しますが、あるとき、いつものように読経をしていると、いつの間にか、中谷宇吉郎博士が、お数珠を手にして、うしろにすわっれいらっしゃいました。
 「禅宗はいいですね。
 私は、高い山の中でひとり雪の研究をしていると、禅僧の心境もこのようなものかなと、ふと思ったりするんですよ。」とおっしゃいました。
 先生は、臨終のとき、
 「静子。ながいあいだ、ありがとう。人さまには親切にしてあげるんだよ。」と言い残されたそうです。
 これが「小さな親切運動」の根本動機の一つになったといいます。
 私は、一昨年、雪の科学館に招かれ、「中谷宇吉郎博士・家庭と宗教」と題して、講演をしました。
 加賀市大幸市長さん、雪の科学館神田館長さん、二女芙二子さん、甥の中谷健太郎さん(大分県湯布院亀の井別荘主人)とも顔をあわせることが出来ました。
 中谷先生の親友・茅誠司(東大総長)さんは、中谷君がもう少し長生きすれば、ノーベル賞を受賞したにちがいないと言われたそうです。






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