アメリカとイラク 第23号
 アメリカとイラクのかかわりは、ユダヤ教、キリスト教とイスラームとのかかわりを抜きにして考えることは出来ないようです。
 私は、平成八年の夏、シリアとエジプトに行き、その時点で、すでに、そのことを直感的に解ったとおもっています。
 その後、私は『日本の仏教とイスラーム』(春秋社刊)を著わしました。
 いまの世界各地の対立、紛争には、むろん、いくつかの要因があげられますが、とくに宗教が介在していることを知る必要があるのではないでしょうか。
 政治、経済、民族、軍事などの視点からばかり論じていた日本の論者たちも、このごろは、表面的な作業にしろ、ようやく宗教問題に目を向けるようになってきたと言えましょう。
 しかし、概して、日本の知識人、識者は、イスラームに無理解な場合が多いのか、ほとんど論じないようです。
 一方、イスラームを紹介する日本のイスラーム学者のなかには、イスラームを好意的にとりあげることを前提として一方面だけを強調する結果、偏った情報を喧伝するといった場合が多いように感ずるのは、私だけでしょうか。
 もう一つあげておきますと、日本人は、イスラームのアッラーに対する信仰、あるいは豚肉はたべないとか、真偽は私にもわかりませんが、犬は神さまにきらわれているとかの生活習慣を理解しようとするあまり、こちらの立場を、いやがうえにも卑屈なものにしてしまって、対等な相互理解へ近づく努力をひかえてしまう傾向があるようにも感じられることがありますが、いかがでしょうか。
 実は、アメリカとイラクのことに限らず、多様な世界の現状を理解するうえで、宗教の存在を無視することは出来ないようです。この点、日本人は、日本独自のおかれた地点、立場から、鋭く、ことの本質を見抜いて対応することが、まず必要でしょう。









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