「ここ掘れ ワン ワン」 第33号
 明けまして、おめでとうございます。
 ことしは、戌年です。
 戌(犬)年といえば、こどものころ聞いた「花咲か爺さん」の童話をおもいだします。
 正直者のお爺さんの愛犬ポチが、「ここ掘れ ワン ワン」とないたので、お爺さんが掘ってみると、大判小判の黄金が、ザクザク、土の中から出てきました。
 ところが、意地悪る爺さんが、おなじところを掘ると、出てくるのは、ガラクタばかりでした。
 中国、唐の時代、趙州(じょうしゅう)というお坊さんに、修行僧がたずねます。
「仏教の真髄はなんでしょうか」
ことばをかえていえば、ひとのほんとうのしあわせはなにかというのとおなじでしょう。
趙州和尚は、この修行僧に言います。
「あなたは、お食事はすみましたか」。
「ハイ、いただきました」と修行僧。
そこで、趙州は言います。
「それでは、おわんを洗いなさい」。
 仏教には、唯一、絶対、天地万物の創造主などという存在はありません。
 仏教の真髄である禅は、深遠な思想、哲学などをふりかざすことではありません。
 だから、仏教、禅は宗教ではない、救いがないなどというひとがいますが、これは仏教、禅に対する誤解、無知によるものでしょう。
 仏教の真理、禅の極意は、日常の生活のなかにある、いや、ふだんの暮らしそのものこそ、仏教、禅そのものだと私どもは、教えられています。
 大乘寺の階段のところに、「看脚下(かんきゃっか・足もとをみよ)」とかいてあります。
 これは、はきものをそろえなさい、あしもとに注意しなさいという意味ですが、もうすこしつっこんでいいますと、人生はそのあしもとにこそ、真実の生きるみちがあるということを指しているのでしょう。
 ともすれば、自分の足もとを軽くみて、おろそかにする傾向が、私どもにはあるのではないでしょうか。
 「ここ掘れ ワン ワン」
 足もとの「ここ」を「掘る」ところに、運命を開き、理想を実現するベスト・ワンのみちがあるのでしょう。



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