仏さまの頭のうえをふみつけて行け 第36号
 中国、唐の時代、八世紀ごろに、仏教信仰の厚い粛宗(しゅくそう)皇帝(こうてい)という人がいました。
 あるとき慧(え)忠(ちゅう)和尚(おしょう)に質問します。
 「あらゆる徳を備えた、この上もない理想のお方を、仏さまとして、拝み、信じてよいのですね。和尚さま」
 「仏教を理解し、仏教の為に力をいただいている粛宗皇帝よ。あなたは、仏さまの頭のうえをふみつけて行きなさい」
 この慧忠和尚のことばに、皇帝はびっくりいたします。仏さまの頭のうえをふみつけて行け―とはなにごとか。とうてい坊さんらしいことばとも思えない。
 「私には、和尚のおっしゃっていることがよくわからない」
 「ごもっとも、このごろ、世間では、仏だの、神だの、そんなものは、どこにもありはしない。そんなふうにうそぶいている連中がいる。
そのくせ、彼らは、自分こそ、かけがいのない存在だ、自分は正しいのだ、自分を信じて、自分のおもうとおりのことを言い、やりたいことをやると言って、自分を絶対視し、正当化して、自分を他人に押しつけている。
つまり、自分を、神のように仏のように、偶像化している。
だから、私は、皇帝に申しあげているのです。
自分のそとにもっともらしい仏や神をみとめてはならない。
と同時に、自分のうちに仏や神をつくってはならない、と。」
もちろん、世の中には、たとえば自分が不当にあつかわれたり、いじめられたり、誤解されたりすることがありますから、真実を明らかにし、自分をきちんと守らなければなりません。正義を堂々と主張しなければなりません。
 いまの場合はそうではなくて、個人でも、家庭でも、会社でも、学校でも、国家でも、自分の立場を絶対に正しいものとし、相手をまちがっているものとして決めつけ、攻撃し、自分の立場をゆずらない、他におしつけていくといったことが、往々にして見られることをとりあげているのではないでしょうか。
 その結果、どうなるか、火をみるよりあきらかです。慧忠和尚のことばを深く味わうべきでしょう。

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