わたくしの金沢(2) 第40号
 中谷宇吉郎博士 (一九〇〇−一九六二) は、石川県が生んだ世界的な雪の科学者です。
 出身地の加賀市には、「中谷宇吉郎 雪の科学館」 が開設されています。
 静子夫人 (一九一〇−一九八六) は、お若いころ、金沢の小町娘といわれ、やわらかいものごし、静かな語りくち、そして、つつみこむような雰囲気とやさしさがそなわっていました。
 駒澤大学の学生のころから、お経を上げてくれとご依頼があって、渋谷の神宮前にある中谷邸にうかがと、いつも、必ず、精進料理をふるまって下さいました。
 本多巳智子さんがご同席のときは、品のよい金沢ことばのイントネーションがとびかい、耳にここちよく伝わったものです。
 ご長男の敬宇さんが十一歳でおなくなりになっていますが、その敬宇さんは、私と同年齢だったとおっしゃいました。また、東洋思想、仏教、禅への質問もよく向けられました。
 静子夫人のご母堂、寺垣品さん (一八七〇−一九六二) は、十九歳ごろから、富山県、高岡市の国泰寺・雪門玄松老師に参禅、また昭和のはじめごろからは、大乗寺の渡辺玄宗禅師(私の師翁) に師事して、熱心に参禅をつづけています。
 若きころの鈴木大拙、西田幾太郎などと、それとは知らず、一緒に坐禅したこともあったことでしょう。
 面長な風貌、細いまなざし、さっぱりした気質、お茶目な一面もありました。
 しかし、あたりを払う凍としたきびしさ、同時に、にこにこした笑顔に、言うに言われぬお人柄を感じました。
 また、数十年にわたって坐禅にはげんだなどということは、ほとんど口外されなかったようです。
 金沢の食べものや、風景のこと、行事や、催しなどを、遠くを見るようなまなざしで、私に語ってくれました。
 おなくなりになって、すでに四十年。なつかしく、なつかしく想起されます。

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