一度、お会いしておきたかった―白洲正子さん― 第58号
 一度、お会いしておきたかったと思う人がいます。そのお一人が、白洲正子さんです。
 私は、昭和59年から平成5年ごろまで、足掛け10年間八五回にわたって、曹洞宗大本山總持寺の依頼をうけて、ご開山瑩山禅師(わが大乘寺を開いた徹通義介禅師のお弟子で、大本山總持寺の開祖)の伝記について執筆し、連載したことがあります。これは、のちに、およそ八五〇頁の『太祖 瑩山禅師』と題する一本にまとめられて刊行されました。(国書刊行会)
 最初、このご依頼を、ご本山から受けたとき、私は、ずいぶん苦しみました。学者として、また宗門の僧侶として、どのような基本姿勢で執筆すればよいか。
 悶々としていたそのとき、兄事する鎌田茂雄博士(のちに東大教授)の机の上に無雑作におかれていた白洲正子という人の『明恵上人』を、なにげなく手にとつて、パラパラと頁をめくった瞬間に、決定しました。「そうだ、これだ!!」。
 しかし、白洲正子さんとは、どのようなお方なのか、当時、まったくなんの知識もありませんでした。
 二〇数年も経った先日、家人に誘われて、東京都町田市にある白洲次郎、正子御夫妻のお住い「武相荘」をおとづれました。
 「やっぱり、お会いしたかった。ひとめお会いしただけで、おたがいに、なにもかも、通じあったにちがいない」とおもいこんでしまうほどでした。
 夫の次郎さんは、イギリスのケンブリッジに九年間も学び、遺言書には「葬式無用、戒名不用」と書きました。正子さんも、アメリカの女学校に四年間、留学しました。
 正子さんは、いわゆる西洋かぶれをすることなく、日本の伝統を大切にし、自由奔放に、一途に生き、仏教に深い信心を寄せておられたと、私には思われます。
 すごい人だなあ、立派な人だなあ。ほかにことばを失ってしまいます。

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