『正法眼蔵』「道心」の巻(3) 第77号
 「おほかた、おろかにあしき人のことばを信ぜず、きかざるなり。また、わがこころをさきとせざれ。
ほとけのとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、よる、ひる、つねに
こころにかけて、このよにいかでかまことの菩提、あらましとねがひ、いのるべし」

上の現代語訳。
 「およそ、愚かで悪い人のいうことばは、信ぜず、聞かないのがよい。また、自分の考えをおしたてては
ならない。ほとけのお説き下さったおしえに従うのがよい。よくよく道心のあり方を、夜も、昼も、つねに
こころがけて、この世において、是非ともまことの仏の智慧をもちたいと願い、祈らなければならない」。
 
 道心を求め、仏法を学ぶにあたって、まず大切なことは、愚かで悪い人のことばを信じてはならない、
聞いてはならないことであるとお示しであります。
 愚かで悪い人とは、どんな人を指すのでしょうか。
 これは、実にむずかしい問題であります。なぜならば、みんな、それぞれもっている価値観が
ちがうからであります。
 しかし、私の道心を求めるこころが切実であればあるほど、愚かで悪いとはどんな人かということが
わかってまいります。それが実際のすがたであります。
 そこで、賢明で善い人に出会ったならば、自分のはからいを優先しないで、ほとけのおしえに従うのは、
自然の理でしょう。
 「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世間は虚仮なり、ただ仏のみ真なり)という
教えがあります。
 仏法の道理というのは、いつでも、どこででも、だれにでも、なるほどとうなずくことの
出来るものであります。
 ですから、このような普遍的道理を学ぶこころのありようを、夜となく昼となく、
こころがけて、ほとけの智慧をそなえたいと願い、祈ることにならざるをえないのであります。

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