『正法眼蔵』「道心」の巻(8) 第82号
「また、この生のをはるときは、ふたつのまなこ、たちまちにくらくなるべし。

そのときを、すでに生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏と、となへたてまつるべし。

このとき、十方の諸仏、あはれみをたれさせたまふ。

縁ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にうまれ、仏前にうまれて、

仏をおがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり」。


 上の現代語訳。
  「また、この人生が終るときには、ふたつの眼がたちまち閉じて暗くなるであろう。
そのときを、この生涯がおわってしまうのだと知って、はげんで「南無帰依仏」ととなえたてまつるがよい。このとき、東、西、南、北、四隅、上下の諸仏が、あわれみを垂れてくださるご縁があって、
地獄、餓鬼、畜生の世界におちてゆくはずであった罪も、転じて、天上に生まれ、
仏前に生れて、仏を拝みたてまつり、仏が説いてくださるおしえを聞くのである」。

 つづいて、ここでも「南無帰依仏」(いま、宗門では、「南無釈迦牟尼仏」をおとなえします)を
おとなえしなさいと示しておられます。
 おとなえすると、あらゆる世界の仏さまたちが、慈悲をもって、私どもを救って下さる。
天上界に生れ、まのあたりに、仏さまを礼拝して、仏さまの教えを聞くことが出来ると説いてあります。

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