私は「黙禱」は致しません 114号
大乘寺山主 東 鱆チ


 「黙禱」の語は、諸橋『大漢和辞典』には出ているが、仏教語辞典には出ていない。そういうこともあって、仏教のことばとは言えないだろう。
 東日本大震災の被害者の諸霊に対して、県や市町村の公務員が、「黙禱」の語を以て指示し、一斉に頭を下げていた。
 詳細は調べていないが、「黙禱」はキリスト教のことばであろう。だとすると、政教分離の原則から公けの立場が、「黙禱」の語を使うのは、いかがなものか。これは、大問題だ。仏教徒としての私は、「合掌」、「礼拝」の語を用い、「黙禱」は使わない。
 ある雑誌によると、あの関東大震災の一周年に、東京市民が始めた一分間の黙禱が全国に浸透して、以後、靖国神社の祭典などでも「黙禱」が捧げられたらしい。
 しかし、なにも知らないような仏教徒、神道者に対して、これまた、なにも知らないような公務員が、「黙禱」を指示しているのは、日本人の大らかさが出ているともいえようが、肝心の霊は浮かばれないであろう。

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