そのままに生きてゆく 自分で喜びをつくる 128号
 若いころ、私は、伊福部隆彦先生にいろいろ教わった。先生は、老子と禅を究められた。ご自分を宗教家と位置づけておられた。
 「宗教家というものは政治家とは全く対立する。
 政治家とは、一つの理想をもって、この人間社会を改造せんとするものである。宗教家は、客観的社会は、そのままにしておいて自分の心を変えることによって、すべてのなやみから解脱せんとするものである。
政治家は外を改造せんとし、宗教家は内を改造せんとする」
 「人間の幸福は原始社会、王朝制社会、封建社会、今日の資本主義の社会、いずれの社会にもあった。同時に、人間の不幸はどの時代にもあるのである」(取意)
 先日は、参議院選挙があったし、やがて東京都知事選挙が行われることになる。その選挙の結果が、私たちの幸、不幸にどのようにかかわってくるのか。
 それはそれとして、小松市出身の元駐イラン大使・元防衛大教授の孫崎享(うける)氏いわく。
 「より高い地位とより豊かな生活を求める」ことは、「人間の尊厳を失うことになる場合が極めて多い。高い地位を目指したところで、決して満足な精神状態は得られない」と。
 良寛和尚の語を引いて、
 「「米が三升、暖をとる薪が一束、両膝を伸ばして寝られるスペースがあればいいじゃないかと」思った時、全く新しい人生が開ける。喜びを自分で作る、自分の人生が始まる。そしてその時は誰に臆することなく、堂々と正論を述べることが出来る。
 今日、日本では正論を述べられないと思っている人があまりにも多い」(北國新聞 平成26年1月25日号)と。
 伊福部先生、孫崎先生の述べられるところは、人生の根本を洞察した卓見だと思う。

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