伊藤野枝のいとこ伊東きみさんと 私 140号
 大正一二(一九二三)年、関東大震災のさなかに、伊藤野枝は、夫の大杉栄(さかえ)、甥の橘(たちばな)宗一(むねかず)とともに、東京・麹町憲兵分隊において甘粕憲兵大尉に虐殺された。
 私は、昭和三〇年代前半、駒澤大学大学院生のころ、一年間を、伊東きみさんの自宅に下宿をしていた。のみならず、十数年前後にわたって、わが子のようにかわいがっていただいた。伊東邸のまえは国会議員山東昭子さんの御自宅である。伊藤野枝も、大杉栄も、伊東家に同居している時期があったようだ。後年、瀬戸内寂聴さんが取材にみえたらしい。
 私は、伊東きみさんから、野枝や大杉のことについて聞かされたことはない。山妻は断片的にいろいろ聞いていたようだ。
 きみさんは、私に、戒名をつくってくれといわれた。そこで月心院孤照慈徹禅定尼と命名。ひどくよろこんで、来客たちに、それを披露して自慢していたようである。
 剛毅一徹、正義感とけっぺき感にあふれた女傑。典型的な九州の明治女性―――。
 昭和五七年午前一時五分、狭心症のため、満八五才で逝去。独身であった(駒澤大学禅友会と、駒沢学園賛助会の副会長)。坐禅に熱心であった。葬儀の法要は上田祖峯駒沢学園長老師と私がつとめた。

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