男らしい男、女らしい女 145号
 くわしいことは、なにも知らないが、新聞、テレビで知る前川某、籠池某の言動をつぶさに見ていて、昔よく聞いていた「男らしい男」ということばを想い出した。
 「游侠ハ其ノ行ナイ正義ニ軌セズトイヘドモ、シカレドモ、其ノ言ハ必ラズ信アリ、其ノ行ナイハ必ラズ果タシ、已ニ諾スレバ必ラズ誠アリ、其ノ躰ヲ愛セズ、士ノ阨困ニ赴キ、既ニ已ニ存亡死生シテ、シカモ其ノ能ニホコラズ、其ノ徳ニホコルヲ羞ズ、ケダシ亦多トスルニ足ル者アリ」(司馬遷〈游侠列伝〉)
 「游侠の徒」(男だて。任侠)は「その行いは正義に合わないとはいうのの、言ったことは必ず守り、その行いは必ずなしとげ、すでに承諾したことは必ずやりとげ、その身を惜しまず、人の危難のために奔走し、生と死、存亡の間をさまよいながらも、自分の能力を誇らず、その徳を誇ることを恥ずかしく思う」うんぬん。
 いまは、うけ入れられないかも知れないが、ここには、「男らしい男」の一面が示されていると思う。一旦それが人のためとなるのであれば、こうと決めた前言をひるがえしたり、態度を変えたりしないというのであろうか。
 いや、昨今は、男らしい男とか、女らしい女というのは、いけないことなのだろうか。
 男のなかに女がおり、女のなかに男がいると思われる。 いや、元来、男も女もないのであろうか。

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