『正法眼蔵』「道心」(7) 第98号
また、この生のをはるときは、ふたつのまなこ、たちまちにくらくなるべし。
そのときを、すでに生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏と、となへたてまつるべし。
このとき、十方の諸仏、あはれみをたれさせたまふ。
縁ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にうまれ、
仏前にうまれて、仏をおがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。

 〔訳〕
 また、この生涯を終るときは、双眼はたちまち閉じて、あたりは暗くなるであろう。
そのときを、すでにこの人生のおわりとこころえて、はげんで
「南無帰依仏」と、となえたてまつれ。
 このとき十方すなわち東、西、南、北、上下、四隅のもろもろのみ仏たちが、
あわれみを垂れてくださる。
 地獄、餓鬼、畜生の世界にむかうはずであった罪も、転じて、天上に生まれ、
仏前に生れて、み仏を拝みたてまつり、み仏が説いてくださる教えをきくのである。

 ひとは、誰でも、自分にいちばん身近かな存在は自分です。しかし、
この自分はいったい、なにものなのか、自分にわかりません。
ですから、なにをどうして生きていくかも、わかりません。
 そのうち、誰もが、みんな死んでしまうのです。なぜ死ぬのか、
死んだらどうなるのか、これもわかりません。
 が、ともあれ、死ぬときは、「南無帰依仏」とおとなえしなさい。
 そのとき、かならず、み仏があわれみを垂れて下さるとお示しです。



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